8月27日の雑記みたいなもの ゲーム会社社長の言葉の重み

 最近、名前が売れればゴシップメディアとも手を組む人間を見て、げっそり。
 本人は清濁併せ呑むつもりなのかも知れないけど、明らかに利用されてるんだよ。それもしょぼいアクセス集めの為にね。決してwin-winの関係とは言えないよね、アレは。

 愚痴に愚痴を重ねるけど、MHP3HDverの悪評は呆れるばかり。あのゲームに関わっている人間が目の前の仕事しかできていなかったプロジェクトの典型的見本。同じ組織の中で別々の方向を向いているという、そんな感じ。
 SCEカプコンも優秀な人達ばかりなんだから、舵をとれる人間がいれば少しは変わっただろうにと思わなくもない。

 実は他人事とは思えず、なぜなら、私が所属している組織も同じ様な状況なのだ。
 責任者がいる、人材もいる。ただ、全体を俯瞰し旗を振る人間が居ないため、見えない派閥争いのような事態に陥ってる。
 ただ、それってどこでも同じなんだよね。もっとぐだぐだな職場での状況を知っているだけに、自分の立ち位置が見えるだけでもましな状態。現場の人間として、頭を使うしか無いよね。なんだかんだ言って、前の職場よりは恵まれている。

 と、こんな疲れたときは、任天堂の組長こと山内溥氏の語録をよく読む。
山内語録 山内語録 山内語録
 衝撃的なのは、次の台詞。

世間にはよく成功した人間を尊敬する人がいるけれど、それが僕には不思議でしようがない。たまたま運が良かっただけの人を、どうして尊敬できるんでしょうかね

(高橋健ニ著『任天堂商法の秘密――いかにして“子ども心”を掴んだか』祥伝社、1986年)

 何と言うか、この人はすべてが違う。自分の悩みが、紙切れのように思える。
 そして、更に思いをふける。
 最初にも触れたゲハブログと仲良しな某社長も、どうしてもエキセントリックな発言をしたいのであれば、ここまでの凄みを出さないと意味が無いと思う。
 中途半端なリップサービスなど、先達の発言の前には紙くず同然。せめて、山内組長の10分の1でも省みることが出来なかったか。
 とは言え、山内組長の前では、誰もがそうなっちゃうよね。とんだ言いがかりであると、反省することしきり。